本陣・宿場町
東海道には、ご存じの通り五十三の宿場町があり、それぞれに最も位の高い人が宿泊する場所を本陣とてその次の格式で脇本陣があり、庶民は旅籠などに泊まるとなっていました。宿場の大きさにより、本陣が数軒あったところもある。一部保存されているところもあるが、ほとんどが本陣跡として指標が建てられているのみである。
保存されている本陣
仁川宿
草津宿
旅籠の様子 二川宿本陣資料館より
街並み模型
旅籠の保存
多くの本陣・脇本陣は道路沿いに指標のみが残されている
神奈川宿本陣跡
府中宿本陣・脇本陣跡
保存されている宿場町
当時を想起させる街並みを残している数少ない宿場町があります。最も有名なのは、東海道47番目の宿場町「関宿」(三重県亀山市)、街道沿い全体が当時のままではないかとの錯覚を覚えます。 また、五十三次の宿場ではありませんが、池鯉鮒宿と鳴海宿の間の宿・有松宿も当時の面影を残した宿場町だと言えます
関宿
有松宿
高札場
幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、 人目のひくように高く掲げておく場所 各宿場には1つは設置された
日坂宿 高札場
赤坂宿高札場
一里塚
一里(約4㎞)毎に置かれている指標。地図のない時代の旅の目印となるもので、道の案内・歩いた距離が分かるもの。
本来は、道の両脇に土が盛られ榎か松などが1本その上に植えられていた。一部保存されてるものはあるものの、ほとんどは一里塚跡として指標が建てられている。趣がないものが大半であるが、単調な旅の一つの目標として、現在の東海道旅には重要な要素である。
箱根越え途中にある
畑宿の一里塚
宮宿の一里塚
指標だけが残る一里塚
見付
幕各宿場町の東西の入り口。当時は設置された門や木戸が設置されていた。 東側を江戸見付・西側を京見付と呼ばれる。旅の途中ではこの見附も一つの指標となる。 形として残っているものは少なく、何も残っていないところもたくさんある。
平塚宿 江戸見付跡
平塚宿 京見付跡
平塚宿では、宿場を守る見付がしっかりと設置されており、そのレプリカが設置されている。
小田原宿 江戸見付跡
亀山宿 江戸見付跡
松並木
江戸時代旅人を守った松並みにですが、各地で一部残っている場所が多くあります。 当時の旅を偲ぶアイテムとして発見すると歩くモチベーションにもなります。有名なところもありますが、ひっそりと残っているところもあり、旅に出た際にはぜひ探してみてください。
大磯宿 松並木
舞阪宿 松並木
関所
東海道には、有名な箱根関所と浜名湖の近く舞坂宿と新居宿の間に新居関所があった。 (舞坂宿と新居宿の間には、浜名湖があり、今切の渡しで繋がれていた) 関所の目的は、ご存じの通り「入り鉄砲と出女」を検めるものであった。
箱根関所
新居関所
渡し
江戸時代当時東海道の道中を困難にした川の存在があり、それを超えるために発達した渡しが存在します。大井川の渡し・愛知県西部の3つの大きな川を一気に三重まで運んだ七里の渡し等があります。 私は、大井川は橋で、七里の渡しは電車で進みました。
大井川の渡し
大井川の渡しは、東側の島田宿・西側の金谷宿の間で行われていた。 島田宿では、街並みが保存されており、当時の面影が残る。
七里の渡し
名古屋の西部は、大きな川が3本流れていたため、海路を用いて三重県の桑名まで直接船で渡っていた。その間七里あったため、「七里の渡し」と呼ばれた。
ウキペディア「佐屋宿」より引用。 CC 表示-継承 4.0オリジナル画像
その他
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